#6 SOLID BLACKLINE

SOLID BLACKLINE -ソリッド ブラックライン-:
ストリートカルチャーを主軸とし、日本古来の伝統・風土・原風景に日々影響を受け、表現し続ける。和製サイケデリックでありながら日本人が持つ優美繊細な感覚を黒線(くろせん)と称された独自の流線模様で万物を描き出す。黒線屋。本名の"塚田雅弘"名義でデザイナーとして活動するほか、DJ"芋matic"としても活動している。東北芸術工科大学プロダクトデザイン学科卒業。1993年6月26日生まれ。埼玉県熊谷市出身。ONLINE→/Instagram→

Keep on Diggin & Creating ! 『黒線屋』

日本ノ黒線。
これほどまでに色で溢れかえる世界に、たった一色。落とし込むだけで緊張感と存在感をもたらすことができる色として黒の右に出る色は無いのではないだろうか。そんな黒を自在に操るのが、埼玉県は最北端の神川町を拠点に活動するSOLID BLACKLINEことSOLID。自然豊かなこの町から日本各地へ、そして世界へと活躍の場を広げるSOLIDの内助の功の面々を紹介させて頂こう。

Materials

▲2000年刊行。日米を行き来するライター・翻訳家の能勢理子が、ブロンクス、ハーレム、ブルックリンそれぞれの地区を彩るグラフィティの進行形を示す。伝説のグラフィティ・ライターたちへのインタビューの他、クルーとの作戦会議に使えるグラフィティ用語付き。2006年には続編『ニューヨーク・グラフィティネクストステージ』も出版。『ニューヨーク・グラフィティ』(グラフィック社)

根っこはストリートに在りました。
かつてアメリカでギャングがその権威と存在を示すために街の随所でタギングしてきたグラフィティアートは、今となっては日本で見かける機会も決して少なくない。グラフィティアートの持つ勢いとキャッチーな書体に強い影響を受けたSOLIDは実は大のグラフィティっ子。「HIP HOPとかストリートカルチャーが好きで、一番初めはグラフィティから入ったんです。かっこいいし。実はSOLIDっていう名前もグラフィティで描いた時にSから始まってDで終わると描いた時にかっこいいからつけたんです」。その名前の通り無機質でズッシリとした重みはSOLIDの作品を見た者なら感じたことがあるはず。

▲アマチュアからプロまであらゆるユーザーから愛用されてきたスケッチブックの定番。優れた吸水性で筆の乗りもバッチリ。『図案スケッチパッド』(maruman)

良いネタ、仕込んでます。
何事も準備をしておきたい性格だと照れくさそうに語るSOLID。職人にはかかせない仕込みの一部始終をこっそり教えてくれた。「ネタ考えたりする時にこのスケッチブックに描いてます。ハガキサイズだからそのままポストカードに使えるし、ここから作品が生まれます」。こんなに小さなところからでも作品の産声は上がるのだ。

▲『玄宗 超濃墨液』(墨運堂)/『スーパー清書用墨滴』(呉竹)/『開明墨汁』(開明)

「黒は無限です」
和紙に陶器、木やモルタルなど、SOLIDのキャンバスは平面に留まらない。キャンバスが異なれば墨汁の発色が異なることも珍しくないが、臨機応変に対応するのも、技術のうち。「色々使ってるけどこの3つは基本で、俺の推しの墨汁です。ドロドロしてたりサラサラしてたり、墨汁にもそれぞれに特徴があってシチュエーションによって使い分けてます。マットなものもあれば艶があるタイプもあるし、2つの墨汁を混ぜるとムラなくいけたり、絵の下地には艶消しを使ってしたり、黒は無限です」。自分で自分の作品の完成度を高めていく。これも、技術のうち。

モノは、使える限り大切に。
モノで溢れたこの時代。埋もれてしまった誰かの努力と才能に再び光を当てるSOLIDは古物商免許を取得し、循環していく資源へ想いを馳せる。「今となってはフリマアプリやサービスが流行って簡単に物を売るっていうのが当たり前になってますが、本来は盗難防止の観点などからあまり良くない側面もあります。そもそもどんな物も新品で作られてきたわけで。それが忘れ去られてリサイクル品になって、たとえ人からしたらガラクタに見えるような物でも俺が手にして絵を描くことによって新しい価値をつけられるし、エコにも繋がる。大事なことだと思ってます」

▲シンプルで堅牢な道具箱の中には布や墨汁を収納。独自の黒線を施されて道具箱もどこかご満悦気味。壱両では「古き良き伝統ある、日本独自の美を残していきたい」を理念に多くの古物を扱う。古物屋 壱両(〒369-1205 埼玉県大里郡寄居町末野652-2 ☎048-580-5912)

時代を超えて新たなオーナーの元へ。古物商が渡した時の架け橋。
ライブペイントに勤しむSOLIDの傍らに佇み物々しい雰囲気を放つは、江戸時代後期から明治時代初期の代物だという硯箱(すずりばこ)。「数か月前に寄居町にある『壱両』っていう骨董品屋さんで出会いました。俺と同い年の店主が『お前好きだと思う』って勧めてくれたもので、初めて見た時に『これは俺が使うべきものなんじゃないか』って感じました。今までは化粧品ボックスとか道具箱を使ってたんですけど、蓋が開かなくなってきたり壊れたりしてたので、ちゃんとしたものを買おうと思ってたところだったんです。そういう意味でも運命感じました」

▲「自分が関わってきたアートワークです。どれも思い入れがありますよね」

「この中にあるんですよ。物語が
穏やかながらも一つ一つの物事に熱く真剣に取り組むSOLIDの姿勢は、同じモノづくりをする仲間の胸を強く打つ。これまでも自身の友人をはじめ多くのアートワークを手掛けてきたSOLIDは ”音源” への想いも一入。「音源は現物で持っていたいんです。ミックスCDとかも集めてるし、常に新しい音楽を聴きたいから作業中にもずっと流してます。ストリーミングサービスで聴くこともあるけど、やっぱりCDとかカセットはモノで持っていたい。モノを持つっていうのはすごくいいんです。だからアートワークを手掛けるときは凄く嬉しいですね」

▲日本古来より愛されてきた木綿の平織り布。神事の装身具から始まるも江戸時代には生活必需品として定着した庶民の強い味方。魔除けに日よけ、汗拭いに留まらず、お洒落や粋を演出するアイテムとしても重宝されてきた。

旅に、イベントに、自己表現に。
粋が何か分からない? そんな人には手拭を強くお勧めしたい。マルチ機能ながらもその軽さとコンパクト性から密かに旅行者の間でも常識となりつつあるアイテムのデザイン性は無限大。ファッションとしても江戸時代から重宝されている日本人の重要アイテムが手ぬぐいだ。「便利で速乾性があって、日本が昔から使ってたトラディショナルな形と限られた範囲の中にデザインをするっていうのも面白い。敷物にも使えるしふんどしにも使えて、とにかく万能! これからも手ぬぐいは使い続けるし、身に着けていきたい。日本万歳って感じ。生み出してくれてありがとうって」

ハンドメイドは、包容力が違います。
自宅での制作だけでなくライブペイントで移動をすることが多いSOLIDが筆の持ち運びに使用しているのは、とあるおばあちゃんお手製の道具入れ。「持ち運びをする時にどこでも描けるように筆などを入れている道具入れ。自宅近くで毎週日曜日の朝6時から骨董市が行われてるんですけど、そこで余った着物で色々小物を作ってるおばあちゃんから買いました。値段はすごく安かったんだけど、サイズがちょうどいいので大事に使ってます」

▲1999年創刊、年3回刊の雑誌。英単語 “Spectator” の意味の通り、 “見物人” “目撃者” としてジャンルに捉われず地球上のあらゆる場所へ足を運び、手に入れた真実を飾らない言葉で自由に表現する。『スペクテイター』(幻冬舎/有限会社エディトリアル・デパートメント)

地球上のあらゆる場所から届く “目撃情報” 。
パソコンとヒッピー。DIY。漫画。カレー。宇宙。またヒッピー。。。毎回一つのテーマに焦点を当てて良質な言葉と写真で確かな情報をお届けする雑誌はいつしかSOLIDの教科書に。「スペクテイターはカルチャーが好きな人に読んでる人が多いイメージ。重要な、ちゃんとした情報が詰まっている。漫画で解説してくれてたりとか、真面目に解説してくれてるから内容がすごく分かりやすい。何冊か集めてますが、特に『わび・さび』が俺に合ってるなと。禅とか仏教とか、空間と間の使い方。もう自分の教科書みたいなもの。もっと流行ってほしいと思ってます」

▲アムス社オリジナルブランド「アルテージュ」シリーズから登場。全品種同サイズのハンドルのため、極細サイズでも握りやすい。”アルテージュ(ARTETJE)”は、フランス語で “Art et je=アートと私” の意。『アルテージュ画筆 キャムロンプロ プラタ』(アムス)

弘法も筆は選びたい。
一目見てもインパクト十分な作品を制作するSOLIDだが、近づいて見てみるとエッジの際まで丁寧な黒線が。几帳面な性格を体現する繊細な筆は、かつての同級生の家が営むお店で手に入るそうだ。「埼玉県の熊谷にある『アルス画房』っていう画材屋さんにいつもお世話になっていて、そこで買ってます。この筆はコンパクトで、精密画にすごく合ってる。一番使いやすいです」

▲米櫃には、割ってしまった蓋を漆と墨汁を混ぜて繋いだ “金継ぎ” ならぬ “黒線継ぎ” を。なんでもこの米櫃、元は糠漬け用だったのに続かなかったのだとか。黒い土鍋で炊くのは埼玉名産の『かんな清流米』。

体を作るのはやっぱり食! 食で細胞からクリエイト。
「会社員時代は毎日忙しかったこともあって1日3食コンビニ飯とかラーメンとか、外食で済ませてばっかりで太っちゃったんですけど、今の暮らしになってからは健康になりました。味噌汁、納豆、漬物は基本ですね。カレーやポテトサラダを作ったり、蕎麦も茹でるし、なんでも作ります。食は生活に密接に繋がってるので大事にしてます」

▲「ソリッドは自分と同じ名前なこともあってアイコン的存在。当時の松崎しげると今(取材時)の年齢が同じなので思い入れがあります。ジョン・コルトレーンは、一番好きなジャズマン」。写真左から『ソリッドレコード夢のアルバム』(ソリッドレコード)/『松崎しげるベスト・ヒット・アルバム』(ビクター)/『A Love Supreme』(Impulse Records)

「自分の感覚にフィットしてるものを常に探してます」
どんな曲をかけようかと棚を漁るSOLIDの姿はおもちゃ箱を目の前にした子供の姿さながら。棚の中には数多くのレコードがひしめき合い、手に取られるのを今か今かと待ちわびていた。「レコードは塩ビ(塩化ビニール)の盤に無数の溝が刻まれていて、音がその中に入ってるから傷ついたら聴けない。だからこそ一つ一つ音楽の中に踏み込んで聴けると思ってます。レコードには全部に思い入れがあるし、振り返ることができる。ターンテーブルがあればレコードでDJができる。それが原点ですしね。ぶっちゃけ色んな音楽が好きだから何が好きか聞かれても答えられないんですけど」

▲型染版画家、デザイナーの伊藤絋が30余年をかけて収集した全国各地の文字の数々。百度石、のれん、大漁旗、看板など、人間の息づいた生活を彷彿とさせる数々の文字を写真で紹介。『街角のデザイン文字』(東京堂出版)

街を歩けばそこが学び舎。行きついたのは先人の遊び心。
自分の中に新しい風を吹かせたければ、足を止めて見慣れた景観に目線を移してみては如何だろう。多彩なスタイルを操るSOLIDも日々の情報収集を欠かさない。「もともと街にある看板とか文字とか壁を見るのが好きなんです。この本は神社とか石碑とかといった街の中にある文字を淡々と写真を撮って紹介していてインスパイアを受けますね。昔はこういう字があったんだ!今だったらどういうデザインにするだろう?と考えながら眺めます。最初はグラフィティから入りましたが、日本のトラディショナルなモノをサンプリングしてゲットして、それをまた新しいものに昇華するときに参考にしているモノの一つが、文字なんです」

▲大画面かつタッチペンでより直感的な操作感。友人のステッカー達でオリジナルに。もちろん盟友#3 OWLEFのステッカーも。『iPad Pro』(Apple)

目指すはアナログとデジタルの融合。現代を生きる絵描き不可避の問いかけが活動の幅を広げる。
「アナログの良さって何だろう?って一時期デジタルから離れたこともありました」。そう語るのも頷けるほどに、やり直しのきかない一筆が持つ生命力は絵描き自身にも力をもたらす。しかし近年のクリエイターを取り巻く主戦場はアナログだけに留まらない。「就職してからボーナスで買ったのがこのiPad Pro。やっぱり便利なので買ってから作業効率も上がったんですけど、その分悩むこともありましたね。もちろん真剣になるのは変わらないので、今はなるべくアナログとデジタルの融合を目指してます」

黒線大解剖

謹厳実直。ひたすらに筆を極めんとする、ある意味で極道とも言えるSOLIDの道はどこから始まっているのだろう。轍を辿ると見えてきたのは、自身のスタイルを曲げない強固な意志だった。生い立ちから始まり、現在のスタイルに行きつくまでの過程を通してSOLIDという人間を大解剖。

環境が変わることで培われてきた人間性

醍醐(以下、D):SOLIDくんの生い立ちを教えてください。

SOLID(以下、S):生まれは山梨県の富士吉田市です。4歳の頃に親の転勤の都合で群馬県の渋川市に引っ越しました。そこからまた小学3年生の5月に埼玉県の熊谷市に引っ越して18歳まで住んで、その後東北芸術工科大学進学に合わせて山形県で暮らしました。

D:幼少期はどういう子供だったんですか?

S:小学3年生の5月に渋川から熊谷に引っ越してから自分の人格が形成されたと思います。群馬の人たちは熊谷に比べて男女の仲も良いし一人称も「僕」だったんですけど、熊谷は割と言葉遣いが荒かったこともあって熊谷に住んでから一人称も「俺」になりました(笑) 早く皆と仲良くなりたいから家で絵を描いて次の日学校に持って行って皆に見せたりして友達を作っていきました。それと群馬と比べて熊谷は勉強とかリコーダーの進みが少し早くて焦ったこともあって、家帰ってからも頑張ってリコーダーの練習をするみたいな。通信簿には先生から「もう少し肩の力を抜いてもいいですよ」とか書かれるくらい真面目に頑張ってましたね。

D:子供の頃からやっぱり絵が好きだったんですね。

S:絵は何歳から描いてたかわかりませんね。モノづくり自体も凄く好き。母ちゃんが地域の体験教室にいつも連れて行ってくれてて、埴輪作りとか土器づくり、昆虫採集や野鳥を探したり、ペットボトルロケット飛ばしたりとかしてました。親父が自然大好きだったのもあったり。多分普通の子たちの遊びとは違う遊び方をしていたと思います。そういうこともあってモノづくりはずっと好きなんです。

D:中学生の頃はどう過ごしてたんですか?

S:中学1年生の時に進研ゼミの読者コーナーにKREVAの『国民的行事』っていう曲を紹介してあるのを見て、このアーティスト誰だろう?って調べてからヒップホップってカッコいいなと思って好きになりました。それからは音楽オタクみたいな感じで色んな音楽を漁ってましたね。新しい曲を見つけてはCDに焼いて皆に配ったり。人に喜んでもらいたいっていうのが昔からありました。

D:高校生になってから美術予備校に通いだしたんですよね?

S:そうです。進学校に入ったんですけどその頃はあまり勉強に熱が入らなくて。高校2年生の時にバレーボール部を辞めて美術部に入りました。その後に通い始めた美術予備校でタカノリ(OWLEF)と仲良くなったんです。絵を描いてる仲間の中でもタカノリが一番長いですね。今も一緒に絵描くし、すぐそばで頑張ってるのは嬉しいです。(『#3 OWLEF』→)

▲東北芸術工科大学プロダクトデザイン学科卒展2015(facebookより)

18歳の頃、もう熊谷を出たいなと思ってたこともあって県外の大学に行くことにして、それで山形県にある東北芸術工科大学でプロダクトデザインを専攻しました。卒業してからは東京のデザイン会社に入社して3Dソフトとかを使って化粧品のディスプレイを作ってました。化粧品のルージュやリップとかスキンケア用品を置くための台の設計士ですね。

D:ディスプレイのデザインは大学の頃からやっていたのでしょうか?

S:プロダクトデザイン学科の授業の一環で図面を描いたことがあるくらいで、本格的な図面を描くようになったのは入社してからです。お陰で空間把握能力は身に付いたかなと思います。今でもデザイナーの仕事はさせてもらっていて、最低でも月に1回は東京にも行ってますね。時折東京のような文化が回ってる街に行って体感しないと自分の立ち位置が分からなくなるからそれはそれで大事なことだと思ってます。

縁に導かれた新天地

D:この町(埼玉県神川町)にはどういった経緯で住むことになったんですか?

S:平日は仕事が忙しくて自由な時間が無かったので土日にライブペイントをしたり絵を描いたりしていたんですけど、カフェのロゴデザインの依頼を頂いて隣町の美里町に行ったのがきっかけなんです。そこのオーナーさんが骨董品好きなこともあって、毎週日曜日に神川町でやってる骨董市に連れてきてもらって知りました。その後コロナ禍に入った頃に仕事を退職しようと考えていた時に見つけた物件が神川の物件で縁を感じたこともあってこっちに来ることを決めました。

D:今のスタイルはどのように確立していったんですか?

S:最初はグラフィティから始まりました。アメリカ風なタギングとかスタイルを見て憧れてたので壁に描いてる時期もあったんですけど、自分が日本人っていうこともあって何かしっくりこなくて。ヒップホップアーティストの黒人の顔の絵とかも描くの好きだったけど、何か重みが無いなというか、凄いアーティストもたくさんいる中でわざわざ俺がやらなくても良いかなと。俺は日本人だし、何か日本的な要素を足したいなと思って色んな絵や映像作品を見ていた時にESOWさんというストリートアーティストを知って、グラフィティなのに墨でライブペイントしてるんだ!アリなんだ!っていう驚きがあって影響を受けました。昔から迷路とかキャラクターを筆ペンで描くのが好きだったし、自分の制作に筆を取り入れてみたら筆の描き心地がめちゃくちゃ気持ち良いって思ったんです。

カラーを使うことはよくあるし好きなんだけど、黒を入れることによってパキっと締まる。ぼやっとした絵よりは好きだし、黒の線を入れると俺っぽいかなと思って。黒を一色入れることで完成するって感じで、俺にとってはアイデンティティみたいなもんです。

D:筆を使い始めてからどんな変化がありましたか?

S:うーん、変化というか、平面上に線を組み合わせて描いてる時に詰まったことがあって。同じような絵しか描けてないなと思ったんです。それでレコードを集めてたからちょっとレコードの上に描いてみようかなと思って描いてみたら意外とハマって。レコードのジャケットの一部に絵を描いて馴染ませるのを繰り返してたらだんだん「この辺に描くとこう見えるんだな」っていうのが分かってきて、真っ新な状態から始めた時にその経験が生きてきて色々描けるようになったかなと思います。

▲『BLACKLINE on VINYL -百選円盤-』2019/11/4-11/15
(梅ヶ丘Quintet 〒154-0022 東京都世田谷区梅丘1-15-9 スペース88 B1F)

その当時、DJ MUROさんが俺の絵を見てくれてて、それがきっかけで音楽業界の人に認知してもらうようになって「レコードの上から絵を描く人」っていうイメージがついたんですけど、「レコードの上だけに絵を描くアーティストじゃないんだけどな」って少し思い悩んじゃって。でも一回100枚のレコードに絵を描く展示をやってみようと思って100枚描いてみたらやっぱり和物の絵柄が俺に合ってるなって気付いたんです。

でも実はその頃は日本の伝統文化とかそこまで深く知らなくて、和物の絵を描いてるのによく知らないって何か気持ち悪いというかダメだなって思ったこともあって東京大丸でやってた伝統工芸品展に遊びに行ってから興味を持ち始めて、歴史とかを学ぶようになりました。そこから伝統工芸品×ストリートアートをやるようになりましたね。

D:レコードとか古物っていう、出来上がってるものに自分の絵を乗せることに対して葛藤が生まれたりすることはありませんか?

S:実は最初思ってた。レコードの上に描いたものを見せる時も、レコードのジャケットが気に入ったから描いてただけで、中身をガッツリ聴き込んでたわけじゃない。そしたらレコード100枚に描く展示に来てくれた人に「ちゃんと知らないとダメだよ」って言われたりして「やっぱりそうか~」てちょっと考えたこともあったけど。でも全部を真っ黒に塗るっていうのではなく元のものを生かしてサンプリングしつつ絵を描いてるから、これだったら良いんじゃないかなっていうか。サンプリング文化というか、ヒップホップ的な思想でやってるから良いでしょって思ってる。まあ嫌な人は嫌なんだろうけど、古物とか骨董品って結局人から見たら不用品でもあるわけで、それに新たな価値をつけて新しいモノの価値観をあげるから、今後も描いていくつもりです。

SOLIDが描く未来絵図

D:今後やってみたいことはありますか?

S:いっぱいありますけど、例えば壁画とか大きい作品を作りたい。あとは今は準備中なんだけど黒線屋の商品を箱まで作ってちゃんと整えたうえでやりたい。描いた作品は結構あるんだけど、自分でサイズにあった専用の箱を作っててそれが終わってないんです。それらをちゃんと準備してからやりたい。今色んな街から呼んでもらってるんですけど、しっかり準備しないと不安な人間性だから動けない。世間からしたら何も進んでないように見えるかもしれないけど、毎日何かやってますね。ここから全国の、色んな人の手に渡ってほしいなと思ってます。

あとはライブペイントの時とか墨が服について汚れることがあるんですけど、全く汚さないで帰るのも目標です(笑)

▲作業机。「掃除は基本なので机だけでなく家中こまめに箒で掃ってます。悪いものを祓う意味もあります」

「自分に何か言ってくる人たちって、結局自分自身のことを気にしてるんだと思います」

D:Puzzrialのコンセプトに絡めて質問です。やりたいことがあるのにやれない人へ何かエールをお願いします。

S:自分がそういう時とかあるからその気持ちも分かる。まあでも俺はやってるけど。自分に何か言ってくる人たちって、結局自分自身のことを気にしてるんだと思います。暇かよって思っちゃう。俺は人の意見なんか話半分で良いと思ってて。自分の感じたことを共有したり発信していかないと埋もれるというか、人それぞれ個性があって違うものだから安心して制作すれば良いんじゃないかなと思います。何か言ってきてる人とか周りの目を気にする必要なんてない。気になっちゃうなんて当たり前だけど、気になった上でも制作しないと成長しないから。踏み出せないって人はあと一歩だから。わかってるならやるしかないよ。分かってるけどやれない人は逃げてるだけ。

D:まずはビビってる自分を認めろと?

S:うん。俺もそういう時あるし。でも自分の好きなようにやればいいじゃんって思う。自分の好きと誰かの好きが重なったときにウオー!って感じられるし。でもそのためには自分の好きが何かを知ってないといけない。自分が何を好きかを分かり尽くせてないなって感じる時は確かにあります。でもそうすると周りからバカにされてでもやりたいことなのかなって考えちゃう。

まずはそれを自分で考えるところだよね。自分は何が好きなのか? やりたいことは何か? それを振り返る時間は必要だと思う。最近は人のことばっかり考えて自分のことを考えられない人がすごく多い気がします。例えば東京とかは人がいっぱいいるから “協調性” っていう言葉が凄く大事だけど、こっちは人がいないから自分のことに必死だし自分が主体になって動かないといけない。

一度自然に行った方が良いんじゃないですかね? 自然の中に身を置いて自分の時間を作る。自然の中って残酷なまでに自分と向き合う時間ばかりあるから。恥ずかしいとかそういう話じゃないんだよ。 “己が神社” っていう話なんですよ。山仁さんていう好きなラッパーの受け売りなんですけど(笑)

編集後記

ケツメイシの『三十路ボンバイエ』という曲の中に「勉強の二十代を経てそれを生かす三十代の魅力」という歌詞がある。二十代はインプット、三十代はアウトプットの時なのだというのが中学1年生の時にこの曲を初めて聴いた僕の解釈だった。けど三十路になった今、実際にはそれだけでは足りないことを痛感している。

インプットとアウトプットの間に “何が自分にとって良いモノなのか” を取捨選択する時間が必要で、それがSOLIDくんの言う「残酷なまでに自分と向き合う時間」なのだと思う。しかしこれは何も二十代・三十代に限った話ではない。生まれてから死ぬまでの間ずっと付きまとう宿命だ。

SOLIDくんは転校という強制的な環境変化によって自分と向き合うことを余儀なくされてきた。そして自分と向き合った結果、自ら環境を変えることによってSOLIDくん自身の中にある感情を咀嚼しては飲み込み、時には嘔吐しながらも前に進んできたのだと思う。

僕も、もしかしたらこれを読んでるあなたも、自分と向き合う時間が足りていないかもしれない。そんな時は少し浮世から離れて過ごしてみたいものです。そしたら気付くかもしれませんな。己が神社だということに。

神社と言えば、今回のインタビューにあたり、SOLIDくんが常日頃から参拝しているという金鑚神社(かなさなじんじゃ)に連れて行ってもらいました。

自分と向き合う時間、設けて頂きました。SOLIDくん、ありがとう!

そして今回SOLIDくんとの縁を運んでくれたOWLEFくん、ありがとう!

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